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勝海舟寓居跡(生島四郎太夫別邸) 兵庫区・平野
幕末。黒船の来航以来、湾岸防衛の必要性を感じた勝海舟は神戸村の小野浜に海軍操練所を建設しました。時に1864年。龍馬は塾頭として海舟とともに神戸ですごすことになります。その操練所の建設時に勝海舟が仮の宿としたのが、当時の大庄屋生島四郎太夫の別邸でした。龍馬も幾度かこの寓居に勝を訪ね、操練所についての相談をしたと言われています。

現在は門のほか、母屋と庭がほぼ当時のまま残っていますが海舟の寓居は1938年(昭和13年)の阪神大水害で流され、平地になっています。中には入れませんが、西隣の「平家の供養塔」と案内のある門から入り、柵越しに見ることは出来ます。
○市営地下鉄湊川公園駅より市バス7系統で(平野下車)
祇園神社、石段下の路地(中道古道)を東へすぐ。
龍馬のゆかりの地といえば、故郷である土佐の高知、亀山社中・海援隊の長崎、そして寺田屋・近江屋のある京都が代表的なものでしょう。しかし行動力のある龍馬は江戸、神戸、下関、霧島…と日本各地を疾走し、その足跡を残しています。神戸には残念ながら龍馬像などのくっきりした影はありませんが、1年以上生活し、龍馬を語るに見逃せない歴史的史跡もいくつかあります。このページでは勝海舟とのかかわりの中ですごした神戸での龍馬を探します。
1938年の神戸水害で流された寓居跡地。
奥の建物が母屋。
平野祇園神社から東へ延びる中道古道。
風情ある道沿いにひっそりと…
「平野歴史クラブ」によって掲げられた案内板。4カ国語で説明されている。

司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」文庫版第5巻の中に、勝海舟の協力者生島四郎さんと竜馬の恋人おりょうさんのふれあう場面があります。竜馬を追って神戸にやって来たおりょうさんと恋のライバルお田鶴さまとが絡み、ほほえましくも胸キュンでワタシ大好きなシーンです。

このあたり、平野の祇園さんの近くは平清盛による福原遷都の中心地で、小さな歴史の名残が点在しています。

神戸海軍操練所の碑 中央区・国道2号線京橋交差点
その海軍操練所の位置を示すために建てられた碑。
JR三ノ宮駅からフラワーロードを南へ下り、阪神高速神戸線の高架が見えるあたり、国道2号線を西へ少し歩くと、京橋の交差点。NTTドコモビルを浜側へ左折すると左手に大きな錨のモニュメントが立っています。これが海軍操練所跡を示す碑。この場所から東一帯、今の神戸税関あたりに広がっていました。残念ながらこの石碑以外に当時を偲ばせるものはありません。
龍馬はここで神戸海軍塾の塾頭としてほぼ1年間、航海術などを学び、塾生の教育をしました。陸奥宗光もここで出会った仲間です。1863年から64年、龍馬29、30歳の頃…。短い一年ではありましたが、この地での経験が後の亀山社中から海援隊結成への道に繋がります。
海軍営之碑 中央区・諏訪山公園内金星台
海軍操練所はわずか一年で幕府の命により閉鎖となりました。勝海舟は「移り気な幕閣のことだ」と最初から予感があって、「ここが日本海軍の発祥の地になる」と大石碑を建造します。それが海軍営の碑です。当初は操練所にありましたが閉鎖に伴い生島四郎の別邸に隠すように保管された後、現在は諏訪山公園の金星台に移されています。
海舟によって石碑のいきさつが刻まれていますが、その部分のみ新しく作り変えたものをはめ込んでいます。読みやすくはなったが、「よけいなことを…」と思う人も多いのでは。

○諏訪山公園へは地下鉄「県庁前駅」から徒歩約8分。
○JR神戸線 三ノ宮駅 から市バス10分で「諏訪山公園前」
そこから徒歩で約10分登って金星台。
舞子砲台跡 垂水区・JR舞子駅南西
1863年(文久3年)明石藩により築造されたもので、設計や指揮は勝海舟。龍馬も海軍操練所の塾生達と共に訪れています。
この砲台、明石海峡を通過する黒船を淡路側と協力し挟み撃ちにする目的でに作られたそうですが、実際に使われたことはありませんでした。
2003年からの発掘調査で幅約70m、高さ約10mの全容が解明されましたが、現在は当時の足場と石垣の一部を保存・修復し黒御影石の小さな大砲型のベンチや案内板を配した上、舞子砲台跡として公開しています。

○JR神戸線 舞子駅から南へすぐ。
○山陽電鉄本線 舞子公園駅 徒歩5分
○舞子公園に駐車場あり。
神戸海援隊の碑 中央区・メリケンパーク内
1991年(平成3年)世界的な彫刻家、流政之氏制作の白御影石のモニュメントです。
龍馬の時代、このあたりは海の中。龍馬とのゆかりはありませんが、説明板に以下の言葉が記されています。

「1863年から65年にかけ 神戸小野浜に勝海舟・坂本龍馬によってつくられた海軍操練所が存在した。武士、町人、 農民を問わず若者たちが大洋に夢をはせ経済、科学など多くのことを学んだ。夢をはたせず志なかばで倒れていった若者達を神戸海援隊と名付け、その短い青春の夢をここに刻む」

○JR・阪神「元町」、神戸高速鉄道「花隈」駅下車 南徒歩約15分 ○地下鉄海岸線「みなと元町」から徒歩約10分

夜景の人気スポット「ヴィーナスブリッジ」から山道を降りて5分くらいのところが金星台。広場周辺には、神社や小さな遊園地、トイレなどがあります。でも降りて5分ですけど、戻りは登りで10分以上かかります。(ワタシの場合…)
本物にこだわらなければ、メリケンパーク東側のみなと公園に海軍営之碑のレプリカがありますよ。

龍馬と神戸。
…以上がおもなところですが、そのほか龍馬も食した「灘目そうめん」とか、福原や三宮界隈のこのあたりの店で飲んでいたとか、探せば色々出てまいります。神戸と龍馬のかかわりはわずか1,2年ながら、短いその生涯の中で、最も夢大きく過せた場所だったのではと私は思います…。

左の画像は2009年8月、神戸中突堤に入港した蒸気帆船「観光丸」。
オタンダから徳川幕府に寄贈された本物は1876年(明治9年)老朽化で解体されましたが、時を経て1987年忠実に復元され、現在ハウステンボスで就航中です。昨年、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映に先駆けて長崎観光PRの一環として神戸港を訪れました。

龍馬は品川から神戸村へこの観光丸でやってきました。
以後、海軍操練所の塾生達が龍馬とともにこの船を練習船にして操舵法などを学びました。

映画やドラマの龍馬ものには、この復元された「観光丸」がよく使われているようです。

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