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森もりこ(もり もりこ)さん
本名/森 紀子(もり としこ)
1955年(昭和30年)、大阪北区生まれ。

大阪、芦屋で演劇活動をはじめ、1994年神戸を拠点に「劇団自由人会」を設立、代表に就任。
看板女優として多くの役柄をこなしながら、プロ劇団として運営・経営に情熱をそそぐ。
阪神淡路大震災で事務所・稽古場を失うも、あくる日の静岡学校公演を強行するなどドラマチック劇団の顔でもある。
現在、劇団は年間約100ステージの学校巡演を中心に、地元神戸をはじめ西宮、大阪、東京などで定期的な一般公演も行っている。

神戸から全国の小・中・高校へ。体育館を舞台に変えて、デジタル時代に「生の息遣い」を伝えるべく邁進する。
○そもそも森さんと芝居の出会いというかキッカケは?
●子供好きで保育園に勤めてたの。で、お芝居をかじることで保母としてプラスになるかと考えて…。大阪の劇団研究所へ通いました。
○保母さんでしたか。幾つぐらいの時ですか?。
●21…22…23…。
○で、
●はまっちゃった!こんな世界があったのかぁ~って。以来どんどんのめり込んで、演出家のふるかわ照とともに東灘に劇団を作ることになります。
○はやくも劇団まで。それが何歳の時?
●すぐ歳、聞くのね。(笑)25くらいかな…。
○この時はいわゆる「アマチュア」ですよね。
●芝居作りの姿勢にプロもアマもありませんけど、制作システム的にプロではありませんでしたね。
○この頃は神戸や芦屋での一般公演が主な活動ですね。
●はい。
○で、プロとしてやっていくことになるのは?
●神戸のキャパを考えた時、どうしてもステージ数に限界があって、もって出ろうと。
○全国の学校相手に「営業」を始めたのですか。
●はい。全国の中学、高校を中心に。劇団発足から3年後の頃…。
○出し物は?
●「カーリーの青春」や「トーマスのJUMP」です。
○順調にいったのかな。
●今では信じられないくらい…。
○9年間に2300ステージをこなしたとか。
●よく知ってますね。調べてきたの。
○はい。単純に考えると年間250ステージ以上ですね。スゴイ。
●この頃は劇団研究生にまでギャラが出せた時代ですもん。普通もらうでしょ。研究生からは。
○研究生にギャラなんて…信じられないです。
●嵐のような日々でしたけど。きっちりプロ劇団としてやってました。
○でも、ブンレツしちゃうんですよね。
●えっ!あ、はい。運営、路線上の問題で私は代表を辞任しました。で、新たに発足したのが今の自由人会。ちくしょーってね。(笑)
○1994年のことですね。
●そうなのかな。
○劇団略歴にそう書かれてます。
●あ、そうなんだ。そうそう震災の前年…。ここからまた色んなことがありました。自由人会の発足、父の死、震災…。
○お父さんが?…。
●震災の二日前に亡くなりました。
○はぁ…
●阪神大震災の翌日には静岡まで学校公演に行きました。稽古場、事務所は全壊しましたが、装置類や小道具はすでにトラックに積み込んであったので無事。行くべきかどうかと迷うもなく当然のように公演に旅立ったのを思い出します。
○今思えば、よくもまあと思うけれどその時はごく普通に?
●事態の深刻さが把握できなかったのかな。おかしいですね。稽古場つぶれてるのに。
○なんとなくわかります…。
●公演先の学校側が心配して下さり、帰り際、水とか色々物資を提供してくれて…。
○そりゃ、被災者よりテレビ見てる人の方が震災の全貌はよく把握できてたでしょうからね。
●それから帰ってきてからは、亡くなったばかりの父の家で合宿みたいな生活が続きました。
○お父様の家?
●垂水の小束山にあります。
○当面、稽古場も事務所もない中、お父様が導いて下さったみたいですね…。
●そう…。事の重大さに改めて唖然とする中、父の家がみんなの依りどころとなりました。
○そして稽古場を転々としながらも学校巡演を続けてこられたのですね。その間、東京・神戸で「二葉亭四迷」の上演、大阪西成を舞台にした「陽だまりの町」上演などで話題にもなりました。
で、1999年待望の稽古場再開にこぎつけます。

●はい。風光明媚な舞子に(笑)やっとのことで第二のスタートと。
○震災をテーマにした芝居もいくつかありますね。
●神戸在住作家、清水巌さんの「こうべ曼陀羅」を震災メモリアル公演として、又一般公演、学校巡演として「6年3組の阪神大震災」があります。とくに「6年3組の阪神大震災」は全国で186回の公演を重ねています。伝えたいメッセージが学校巡演という公演形態だからこそ実現したと思います。
○まさに被災地からの発信ということですね。話は変わりますが、演出のふるかわ照さんについては?
●急に変わりますね。(笑)劇団の知性でありアイデアマンです。特に06年「知覧のさくら」上演時に改めてこの人の大きさを感じました。
○「知覧のさくら」拝見しました。私の周囲の人は皆さん泣いてました。
●あなたは?
○わたしは泣いてません。スミマセン…。
●あはは。役者にまでお客様の嗚咽が感じられたほどでしたよ。
○ぜひ再演お願いします。
●そのつもりです。この芝居もふるかわ照、あってこそです。少し改定したものを清水先生とのふるかわが練っています。
○ところで森さんは女優でありながら劇団代表者、マ、いうならば経営者ですよね。そのへんでジレンマというか…ありません?
●いつか押川さんと対談したとき「役者と経営者では頭の使う部分がちがう」と言われました。確かにそうなんだろうなとは思いますが、私は板(舞台)につくと、一人の役者に徹してます。いわれるほど感じることはないかな。作家・演出家となると違うかもしれないですけど…。
○じゃ、最後に今後の予定などを聞かせてください
●08年はまず一般公演として新開地アートビレッジセンターで「にっくいさるめとかにどんたち」を1月19日・20日に上演します。以後、学校巡演に出かけます。高校巡演として「キネマらぷそでぃ」「カーリーの青春」中学校巡演として「カーリーの青春」小学校は「にっくいさるめとかにどんたち」です。
○新作の予定とかもあれば…
●斉藤瑞穂さんの「象の死」を現在練っています。戦時中、動物園の動物毒殺にまつわる話で、利口な象が毒の入った食べ物を食べず餓死寸前になりながら飼育員が近づくと芸をしてエサをもらおうとする物語です。役者の表現力と観客の想像力の闘いみたいになりそうで、作り手としてはすごく楽しみですね。
○うわ。それはいかにも演劇的で面白そうですね。「知覧のさくら」のように重苦しいテーマを一気に見せてしまう自由人会さんの力量に期待しています。頑張って下さい。
●頑張ります。ありがとうございました。

インタビュー 2007年12月19日 劇団自由人会 舞子稽古場にて

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