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このページの最新更新日 2007年8月

1931年(昭和6年)神戸区制が実施され、東から、灘・葺合・神戸・湊東・湊・兵庫・林田・須磨と八つの区が誕生しました。また、国鉄の高架線完成もこの年でした。さらに1933年(昭和8年)には第1回「みなと祭り」が開催されています。時の人口は100万人にも届くようになっていました。

○阪神大水害
満州事変の勃発、世はしだいに軍国主義化の波がよせる時期…。
1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて、神戸市から阪神地区に降り続いた集中豪雨は土石流を伴い甚大な被害をもたらしました。交通・通信網はズタズタになり、都市機能はマヒ、死者616人、倒壊・流失家屋3623戸、埋没家屋854戸、床上・床下浸水、計79652戸に及ぶ大災害でありました。

○神戸大空襲
さらに翌年第二次世界大戦がはじまり、1941年(昭和16年)12月8日日本軍による真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入してしまいます。神戸の人々は水害の傷もいえぬまま戦争によってさらに苦しめられてゆくのです。
1945年(昭和20年)神戸は幾度も空襲に見舞われます。とりわけ3月と6月はB29による大規模の無差別空襲で市街の大半を消失します。空襲で殺された人計7491人、重軽傷者17002人、全壊家屋141983戸、総被害者530858人…。古代から繰り返されてきた栄枯盛衰、歴史の名残もここにとどめを刺されてしまいます。こんな大きな悲劇なのに神戸空襲は一般に伝わりきれていない…。

そして同年8月、広島・長崎に原爆投下。日本は無残すぎる敗戦となりました。
市内の大半を失い神戸市の人口も激減、戦前の三分の一になってしまいました。物資も欠乏しインフレに生活は困窮を極め、町には浮浪者があふれ、闇市には人が群がりました。終戦とはいえ、今日と明日を生き抜くため必死の戦いがつづいたのです。

平安時代 鎌倉・室町時代 戦国・江戸時代 明治・大正時代 昭和時代~

1980年以降、文化都市への転換が軌道に乗り、神戸の街の景観は軽やかに変化しました。大都市の重苦しさはなく、港町の開放的な気さくさを持つ街へと。

しかし…

1995年(平成7年)1月17日。阪神・淡路大震災。死者6434人、近代ビルさえ瓦礫と化し、電気・ガス・水道のライフラインは引き裂かれてしまいました…。神戸空襲から一人一人がひとつふたつと積み上げ構築してきた近代都市はわずか数十秒の揺れで破壊されつくしたのでした。またしても尊い命とともに…。

繰り返す歴史に蹂躙されながら、近代都市のありようを模索し続ける街、神戸。
歴史、文明とは一体何なのか… ズシリと重い問いかけを背負ってなおも私たちは明日へ向かわなければなりません。なぜなら戦火・災害時にポッンと灯った人の温かさに明日の希望が見えるから…。

昭和初期のそごう
絵葉書資料館所蔵
阪神・淡路大震災 1995.1.17
阪神大水害
絵葉書資料館所蔵

第一次世界大戦勃発時もそうでしたが、「戦争景気」が経済の復興をもたらします。1950年(昭和25年)からの朝鮮戦争をきっかけに神戸はいち早く復興への道を歩みます。
軍靴の響きとともに繁栄し、終戦とともに不況を迎える…。鉄鋼・造船を中心とした神戸の経済産業構造は殖産興業型の経済侵攻の危うさを伴うものだったのです。まさに一市民としてはフクザツの極みですが、肝に記しておかねばなりません。

さて戦後、神戸の中心は新開地・神戸駅周辺・元町から三宮へ移ります。それは神戸駅近くの橘通りにあった市役所が現在の三宮に移ることで決定的なものになり、現在に至ります。

○文化都市への道
以後、1956年(昭和31年)兵庫国体の開催、1963年(昭和38年)にはポートタワーが完成、1965年(昭和40年)にさんちかタウンもオープン。1966年(昭和41年)からは15年がかりで人工島ポートアイランドの造成に取り組む一方、1968年神戸高速鉄道の開業、1972年(昭和47年)には新幹線新神戸駅も開業します。そしてポーアイの完成した1981年(昭和56年)ポートピア博覧会を開催、半年の期間で全国から1610万人の入場者を集めたのでした。

さらに神戸は情報化時代が進む中、六甲アイランドの造成、ポートアイランド二期工事を進めていきますが、それは重工業中心から地場産業中心へのファッション、観光都市への転換を込めたものでした。同時に戦前までの急成長の中で置き去りにされてきたスラム街、在日朝鮮人、被差別部落問題などと真正面から取り組まねばならないものでもあったのです。

戦前の残り香が今も三宮に…

以上、ごく簡単に神戸の歴史を私なりにまとめました。様々な文献や年配の方のお話しを参考にしました。
私のおばあちゃんはかって元町でパーマネントをしていました。戦争で三木へ疎開中にそのお店は空襲で無くなってしまったといいます。元町商店街、かって神戸の中心での華やいだ生活が一変…。そう話す時の悲しそうな顔が忘れられません。今は認知症がすすみ何も語ってくれませんがもっと話をきいてあげたかったと後悔しています。

完成した国鉄の高架線
絵葉書資料館所蔵
1.17メモリアル式典
昭和初期の元町商店街
絵葉書資料館所蔵

主な参考文献
「神戸の歴史・研究編」落合重信 「むかしの神戸」和田克己 「神戸と居留地」神戸外国人居留地研究会 「神戸の史跡」神戸市教育委員会 「兵庫県の歴史散歩」兵庫県の歴史散歩編集委員会 「神戸まちかど散歩」「神戸学」神戸新聞総合出版センター 「神戸阪神歴史探訪」神文書院 
絵葉書提供/絵葉書資料館

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