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このページの最新更新日 2007年8月

1192年(建久3年)平家滅亡のあと源頼朝による鎌倉幕府。兵庫にあっては源平の争乱で中断されていた港の修築が再開されるなど、交通インフラがしだいに整備されていった時代です。

1274年の文永の役、1281年の弘安の役と二度にわたる蒙古の襲来によって鎌倉幕府が大ダメージをうける中、朝廷では後醍醐天皇が即位。弱体化した幕府打倒を画策します。各地で反幕府ののろしが上がり、1333年に鎌倉幕府は滅亡します。

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ところが、後醍醐天皇の政策に不満を抱く武士も多く、足利尊氏を中心に反旗を翻すことになります。これが南北朝動乱期のはじまりです。

1336年(延元元年)1月、いったんは後醍醐天皇方の新田義貞に破れ九州に敗走していた足利尊氏は同年5月、満を持して京へ攻め上ります。これを迎え撃つべく築島及び会下山と湊川に陣を張ったのが新田・楠木正成でした。港と陸、戦いの要衝兵庫。かくして「湊川の戦い」です。

このときの軍勢は義貞2万、正成は千にもみたず、尊氏軍は何と数十万であったとされます。正成にとっては決死の覚悟でありました。結果は義貞敗走、正成は部下を逃がしたあと、殉死者とともに自刃し、果てます。これにより、京では光明天皇の即位、1338年に足利尊氏は征夷大将軍に任ぜられ幕府を開きます。敗れた後醍醐天皇は吉野へ逃れ南朝を開きます。これをもって南北朝分裂時代。

後になって「湊川の戦い」における楠木正成の忠臣ぶりに感銘した水戸黄門(光圀)が元禄年間に墓碑を建てました。明治になりその墓碑を囲みこむように創建されたのが湊川神社です。

この時代兵庫の津は中国・明との貿易港、あるいは朝鮮や琉球からの入港地として大いに栄えました。しかし…。元々政権基盤の弱い足利幕府は内紛を繰り返し、ついには将軍家の後嗣問題から1467年「応仁の乱」を引き起こしてしまいます。それは京都のみならず兵庫においても多数の住民を殺傷、焼き払い、荒廃させます。1469年のこと。
これ以後兵庫の津には外国船の入港はぷっつりと途絶えてしまいました。海運貿易の中心港は堺へ移っていきます。
以後、室町幕府は急激に衰退し、世はさらなる混迷を加え戦国時代へと向かいます。

楠公武者行列 07年 (湊川神社)

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